只見線
只見線

只見線

7月17日、海の日に会津若松駅へ着いた。

朝7時過ぎ。朝飯と構内の立ち食い蕎麦。

券を買うのを間違えた出てきたのうどん。

本当は蕎麦、家内に食べて貰い買い直し。

これも久しぶりの事。

目的は只見線に乗ること。

作秋に無事全線復興。

JRは多額の復旧費、以後の運行に赤字もありしたくなかった。

だが、沿線の住民の暑い熱意の元に全線普及が完成。

2011年、新潟福島豪雨で何本かの鉄橋が流された。

つまり震災のあったときで9月に私は尾瀬を訪ねている。

山筋が全部削り取られている。

川の水も汚れている。本来は多少の雨で奥会津の大河などは汚れない。

各地で土砂崩れ、その復旧もあり大半は汚れていた。

勿論以前にも何度か通っている場所。

それまでは見たこと無い光景だった。

なので電車に乗るだけだが、一度は乗ってみたかった。

いつでも行けるとは思うがチャンスがない。

今度は団体電車が出るという。

家内と弁当も頼み乗り込んだ。

椅子は木製、天井は鉄板、ご覧の通り。

窓はなし。枠だけ。

電車の名は「風っこ号」。

これを体感することになるのは乗ってやがて解る事だった。

 乗り合わせたのは似たようなご夫婦。

那須からだという。欲しゃべる旦那さま。

普通奥さんの方が良くしゃべる。

いかにも楽しそう。

柳津駅から弁当など積み込む。

そしてここから案内も着いた。

只見線は当初会津坂下駅まで出来たようだ。

線路図みると大きく湾曲しそれから只見へ入る。

それまでは合図平野の青田の中を通る。

白鷺、五位鷺が時折飛んでのんびりした景色。

柳津虚空藏尊は有名でその裏手を線路は通る。

県内にいる人なら雰囲気で解る。

道路なら赤い鉄橋が忘れられない。

ここの泡饅頭は近くの安達の道の駅上り線でも売っている。

やがて郷土写真家星賢孝さんが広げた見慣れた光景の鉄橋。

今日は撮られる方から眺めることになる。

宮下駅

臨時停車。乗って来た電車。

線路を渡り駅舎へ、そして広場へ。

生ビールの看板に一番に飛びつく。かき氷も売っている。

一番長い列がやがて出来た。

この日は気温高く乗ったときで既に32度はあったと思う。

何本かトンネル、鉄橋渡ってきたがトンネル通るときの風の気持ち良いこと。

この電車の名前が文字通り体感出来た。

ここを過ぎると只見も近い、何だか自然と懐かしさがこみ上げる

金山町かな?

赤いトタン、青いトタンなどなんと古里とよく似ている。

気候も多分ほぼ同じ。

冬の間ラジオから聞こえる気温に住むなら南と何度思った事だろう。

ここにすんで会津と中通りの差に気づいたがこれを見て古里だと思った。

そして只見駅

これは我が駅、子供の頃の小鳥谷駅かと勘違い。

山が直ぐ側にある。廻りも山が近い。

そして駅へは鉄路を渡る。いまは陸橋。

当時線路を横切るのは夏なら毎日川遊びで

大人は畑へ普通に渡っていた。

急な登り坂があるので貨物列車は特急、急行を先に行かせるため

待機線にいた。その機関車の運転手ともよく話した。

時に乗せてもらって釜をのぞたり、石炭くべるべくスコップも

持たせてくれた。兎に角その熱気に驚いた。

枕木みるのも久しぶり。この頃はコンクリート圧倒的。

近くの川の水も綺麗。清流が残っている。

駅到着時はいらっしゃい、出るときは「いってらっしゃい」

しゃぼん玉飛ばして有志の皆さん、途中でも手を振ってくれる人が沢山。

人生で一番手を振った日。

綺麗な水と空気と懐かしの鉄路の旅。

白髪頭のにわか乗り鉄、電車のガットンこの音も楽しく過ぎた。

トンネルの音の大きさ、風の気持ちよさ、又々体験したくなってしまった。

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